淀川と大和川が流れる水の都・大阪は、日本でも一番古い歴史がある地域で、大阪湾から朝鮮半島や中国へと通じる日本の中心地だった。しかし、現在はずいぶんと衰退している。多くの市民は、行政や企業がいずれは立て直してくれると思っているようだが、本当はそうはならずに、ひたすら沈んでいっている。
大阪という大きな地方都市が、ひん死の重傷であることは、よく理解されていると思う。人が集まって来ない街は発展しない。生活もできなくなる。仮に商都・大阪が、古都・京都やモダンな神戸と一つの街になると、パリやロンドンにはない、もちろん東京にもない観光資源豊かな都市ができる。ところが、この三都市は仲が悪く、ずっと以前から経済界も言葉では「三都は一つ」と言っているが行動しない。21世紀は集客こそ新しい雇用をつくるのだから、手を携えて関西をもり立てていくことを本気で考えて欲しい。
今こそ、市民一人ひとりが立ち上がって、美しい大阪、楽しい大阪を作らねばならない。
昭和の初めには、大阪城の天守閣が市民の寄付で造られた。大阪市中央公会堂は、北浜の株仲買人だった岩本栄之助さんが私財を投じて建てた。幅43b、全長4`・bの御堂筋も、沿道の人たちが土地を譲ったから一気にできた。大阪の市民は、公的な精神に優れ、自分たちの街姉妹都市である中国の上海は今、大阪の1960年代のようなエネルギーがある。あのエネルギーを、もう一回思い出してもらいたい。
日本人は下を向いているが、技術には捨てがたいものがある。仁徳天皇陵は世界最大の墳墓で、規模的にもエジプトのピラミッドにも劣らない。宝塚から神戸に至る六甲山系はかつて、はげ山だったが、植林によって緑いっぱいの山にしたことを考えると、日本人は大胆さも持ち合わせていることが分かる。
阪神大震災では、あれほどの不幸が起こりながら、復興、復旧を遂げた忍耐力と協調心は素晴らしい。日本人は、いざとなれば頑張れる。震災当時のスライド写真を見ていただきたい。子供たちは前向きで、表情に勢いがある。
ところが、現在東京の人には比較的緊張感があるが、大阪の人は平和でボーッとしていて、お好み焼きやうどんを食べているような印象がある。もう少し気を引き締め、真剣にこれからの世の考えたほうがいい。
一万円単位で広く資金を集めて利益が出れば還元する日本初の市民参加の花の博覧会を大阪で開く構想がある。これを契機に花を家の前や店先に飾るよう市民の意識を変え、日本中さらには世界中から人が集まるようにしないと街は廃れてしまう。
行政がしてきたことを、市民のお金や熱意で進めることを可能にしてきたのが、大阪の民力<たみのちから>だと考えている。
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