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やさしさを生きる・・・
党家村
 -等身大の眼差-

 660年余の永い歴史を持つ党家村。明から清時代の古い街区や建築などの良好な集落空間を今に伝え、近年、中国では北方の伝統的農村集落として注目されている。党家村は、陝西省西安市から直線で北東約200kmの韓城市郊外、黄土平原が抉られた狭い溝谷平野に拓け、谷を辿ると3km程で黄河に至る。また、韓城市周辺には史家・司馬遷の廟や兎王の治水門等が残り、山椒(花椒)の大産地としても有名な所。偶然訪れた党家村は優しい眼差しで私に語りかけてきた。

 そこには日頃享受する都市の持つ利便性は見当たらなかった。心の中に埋もれ忘れかけていた記憶を呼び覚まし、集落と暮らしの風景が醸し出す豊かさが身近に迫ってきた。背伸びしない等身大の風景として。―見渡す限り平坦な黄土高原・迷路のような石畳の路・煉瓦に包まれた四合院の甍の波・意匠を凝らした装飾の数々・村人達の笑顔と思いやり等々―村を構成する全てが語りかけ、私を包んでくれた。

 そこが党家村だった。
文・細川 和昭
楊家溝

朝6時半、西安を出発。車で銅川、延安、綏徳の町を通り、北へ約600km、ひた走りに走る。土ぼこりをあげ、いくつもの黄土高原の山々を越えた。夕方4時半頃には米脂という小さな町に到着。ここで公安局の入村許可をもらった後、楊家溝村への入り口をくぐり、細いでこぼこ道を東へくねくね40分。というのは昨年までのことで、今回はそれがアスファルトの道に大変身。ずいぶん走りやすくなったものだ。

 あたりはすべてが黄土の世界。窰洞のアーチ形のファサードが、あらわれては消え、消えてはあらわれる。羊の群れを追って帰宅する子供や老人、放し飼いされた鶏、家の前に干された洗濯物や夕焼空が唯一の色となり眼を楽しませてくれた。とっぷり日が暮れる頃、常家の窰洞への坂道の下にようやく辿り着いた。いつものことだが、待ちかねていた馬智慧さんと夫人の常菊芳さんが崖の上から私たちの名を呼び、坂道を駆け降りてきてくれた。楊家溝村滞在の一日目だ。  
 文・細川 和昭
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