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|第1章〜第2章|第3章〜第4章| |
第五章 「ものづくりのこころ」より
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職人の手の向こう
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吉村 |
今はもう雪で潰れたけど、古い山小屋がまだあったころのこと。本当は仲間同士で遊びに行くはずが、皆は仕事が終わらなくて一人で行ったんです。すごい山の中だったから真っ暗で怖くてね。春なら良かったけど、秋で時期が悪かった。四時頃に日が暮れてくるの。山の中だから四時半頃まだ日のあるうちに一人でご飯食べて、六時頃しょうがないから寝たんだけど、時間がなかなか経たない。壁にあった柱時計がぼーんと鳴って怖くてありったけのランプをみんなつけてたの。天井裏のモモンガ、キツツキ、それから囲炉裏のそばに出て来る小さいネズミ、そういう生き物のガサゴソする音が嬉しいの。朝、あたりが白んできた時は嬉しかった。 |
細川 |
今、「都会で暮らす若い人は闇を知らない」、それがあかん。闇は怖いものやねん。闇を知らんと、逆に「月夜の明るさ」を知らんのですよね。 |
吉村 |
本当の闇を知ってこそ、仄かな明かりを感じることができる、と。 |
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細川 |
施主がものを買うときの厳しさが、大きな建築でも同じことが言えるわけですよ。始めそれ見たときびっくりした。なんて無駄なことをしているのかと。 |
吉村 |
日本人は昔からフシを毛嫌いするんですけど。抜けたフシは仕方ないけど自然のものなんだからね。こういうテーブルにある木を切った縞なんかは自然の美しさなんだから。 |
細川 |
自然に回帰しなさいというか「自然の素材とはどういうことか」ということを一から考えんとね。木一本にしたって個性を持ってるんだから、工業製品とは違う。昔の棟梁は木の持っている個性を見抜いてうまくどこかに生かしてたんやろね。 |
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吉村 |
今の人は不便の楽しさをみんな捨ててる。そして変なものをつくって便利にしておいて他で遊びたいわけ。「不便を楽しむ」ようになると、何事にもその「アプローチが楽しめる」ようになる。 |
細川 |
不便があるとおのずと知恵が働くようになってくる。例えば子供用のおもちゃでは、「一つのおもちゃを通じて先に発展していかないようなおもちゃはおもちゃとは言わない」ですね。そういう知恵が働かないと楽しくない。不便を経験するということはその「不便をすりぬける知恵」が働くということ。それが大事なことだと思いますね。 |
第六章 素顔の人間像が語るもの
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細川 |
みんな住宅の手入れはどうしてるんでしょう。「自然素材の家は手入れが必要」でしょ。 |
吉村 |
ワックス掛けは自分でしなきゃね。うちは人に頼んだんですけど丁寧にやってなくて、それで汚れてきた。隣の息子の家は自分でワックスを掛けてきれいです。木造のいいのは「自分で愛着を持って自分で手入れできる」からね。なのに木造に”十年保証“なんて情けないね。100年はもたさないとね。 |
第七章 エピローグ やさしさを生きる達人
この星に生を受けて/青年に思う/壮年に思う/老年に思う
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